聖地ラサ ラサ/Lhasa ....................................................................................................................................................................................................................................................................................................................... チベットの地形は魔女の形をしているという伝説は、西暦7世紀の文成姫が入蔵した時代にさかのぼることができる。伝説によると、文成姫は中原の『八十種五行数観察法』に基づいてチベットの地形が羅刹の魔女が仰向けになっているような形であることを推測し、羅刹女を鎮めるためには13のお堂を建設する必要がある。これが主なチベット仏教寺院の起源です… 羅刹女 ....................................................................................................................................................................................................................................................................................................................... ポタラ宮/ Potala Palace チベットの人々から「ツェ・ポタラ(最高の王宮)」と崇められてるポタラ宮。「ポタラ」とは「補陀落」を意味し、観音菩薩の住まう場所、つまり観音浄土を表しています。7世紀にソンツェンガンポ王がマルポ・リ(紅丘)に宮殿を造ったとの伝説から、ダライ・ラマ政権を確立し、チベットにおける聖俗の最高権威者となったダライ・ラマ5世が、ここにポタラ宮の建設を始めたのは今から350年前。建築には50年の歳月を要し、完成したのは1695年のことです。後にダライ・ラマ14世がインドへ亡命するまでの約250年の間、チベットの政治・宗教の中枢として機能してきました。東西約370m、高さ110mの宮殿は、政治を執り行う白宮と宗教儀礼を司る紅宮から成ります。宮殿内部は迷路のように入り組んでおり、極彩色の壁画で彩られています。壁画にはチベット建国史や神話、人々の暮らしぶりなどが描かれており、かつてのチベットの様子をご覧いただけます。ポタラ宮は1994年に世界遺産に登録されました。 ....................................................................................................................................................................................................................................................................................................................... ジョカン/ Jokhang7世紀創建。チベット仏教界で最も神聖な場所だと考えられており、門前には常に信仰篤いチベットの人々が祈りを捧げています。 五体投地によりつるつるに磨かれた門前の敷石を見ると、遙か昔から人々の信仰を集めてきたことを実感することができます。寺はパルコル(八角街)と呼ばれる巡礼路に囲まれており、マニ車を片手に時計回りに巡礼する人々の姿を見かけます。 伝説によると、チベットの大地の下には羅刹女(鬼女)が伏せていると考えられていたため、古代吐番王国の初代国王ソンツェン・ガンポがその鎮圧のために、羅刹女の心臓部にジョカンを建てたといわれています。歴史上では、ソンツェン・ガンポ王の2人の王妃、ネパール出身のティツンと、唐から嫁いだ文成公主が、王の菩提供養のために建てたと考えられています。 ジョカンは2000年に「ラサのポタラ宮歴史地区」として世界遺産に追加登録されました。 ....................................................................................................................................................................................................................................................................................................................... ノルブリンカ宮殿/ Robrinka 歴代ダライ・ラマの夏の離宮。ダライ・ラマ7世の時に建てられて以来、歴代のダライ・ラマがここで夏を過ごしました。ノルブリンカ最大の宮殿はダライ・ラマ14世が建てたタクテン・ミギュル・ポダンです。1959年3月17日に14世はここからインドへと亡命しました。中に展示されている時計は、ダライ・ラマが宮殿を出た当時の時間をさしたまま止まっています。 現在、広大な敷地は人々の憩いの場となっています。ノルブリンカ宮殿は2001年に「ラサのポタラ宮歴史地区」として世界遺産に追加登録されました。 ....................................................................................................................................................................................................................................................................................................................... デプン寺/Drepung Temple チベット仏教黄帽(こうぼう)派(ゲルクパ派、ゲルク派)の大本山の一つ。チベット自治区の首府ラサの西方約4キロメートルの禿山(はげやま)の斜面に建てられたチベット最大の寺。正式にはレカル・プンパBras dkar spuns-pa(白米の累積の意)といい、セラ、ガンデンとともにゲルク派のラサ三大寺をなす。1416年、ツォンカパの高弟ジャムヤン・チョエジェ・タシ・ペルデン(1397―1449)が建立、第1代座主(ざす)となった。寺内には第2世ダライ・ラマの建てたガンデン宮殿があり、第5世ダライ・ラマがポタラ宮を建てて移るまで、代々のダライ・ラマの宮殿であった。往時は7学堂、1万人を超える僧侶(そうりょ)がいたが、現在は400人余のみ。インドのカルナータカ州マンゴッドMundgodにも同名の寺が建てられ、その2学堂に400人余の僧侶がいる。 ....................................................................................................................................................................................................................................................................................................................... セラ寺/Sera Templeプン寺、ガンデン寺、タシルンポ寺と並び、ゲルク派4大寺院のひとつに数えられます。首都ラサの北3キロメートルの山麓(さんろく)部にある。正式な寺名はテク・チェン・リンtheg chen gli(大乗寺)という。1419年ツォンカパの没年に完成。明代の永楽帝の時代により奉じられた経典や仏像は今もセラ寺の宝物となっています。また、日本人とも縁が深く、河口慧海や多田等観が行したことで知られています。 ....................................................................................................................................................................................................................................................................................................................... アニツァングン寺/Ani Canggu Temple ラサの有名な尼寺倉姑寺(アニツァングン寺)はラサ市林廓路上段に位置している。明代に建てられ、今から500年以上の歴史があり、宗喀巴大師の弟子である古覚群丹として創建された。古覚群丹はチベット暦第6铙泛(1389年)に生まれ、チベット暦第7饒泛水牛年(1445年)に没し、59歳であった。7世紀には、吐蕃松賛乾布が曲河(ラサ川)の氾濫を防ぐためにラサ城を建設し、堤防に土穴を掘って読経祈祷を行い、水魔故を鎮めることで「倉宮」とも呼ばれたと伝えられている。15世紀、宗喀巴の弟子である古覚群丹はここに来て、法王松賛乾布の意思を継ぐことを志し、ここで読経して祈りを捧げ、土洞の周りに尼寺を建てたので、「倉宮寺」と呼ばれた。当時の寺の規模は小さく、柱は1階に8本しかなかった。その北間はその年の松讃乾布の度経坑で、南間には黒石で彫刻された松讃乾布像とその生前に使用されていた仮面が供えられている。また、蓮落花生、多傑朗覚朗、無量寿などの泥造仏像があり、寺のそばにいると尼僧が増え、2階建ての経堂といくつかの黄土色の小楼を尼僧が修行した邸宅として、尼僧は最大で200人以上に達し、チベットで三大尼僧院のひとつとなった。 ....................................................................................................................................................................................................................................................................................................................... 小昭寺/Xiaozhao Temple 小昭寺(ラモウチ)は西暦7世紀中葉に創建され、最初の小昭寺は文成姫の入蔵時にもたらした漢族の職人によって建てられたため、初期の建築は漢唐の風格を模していた。ラサの地元の人はここを「熱木斉 ラモウチ」と呼び、「漢人の」という意味だ。境内に祀られている釈迦牟尼仏はブッダの12歳の時の等身像で、文成姫が長安から持ち込まれてチベットで最も貴重な歴史的文物となり、大昭寺に移り、ネパール王女が持ち込んだもう一つの8歳の釈迦の等身仏像を小昭寺に移した。小昭寺は別名上密院とも呼ばれ、チベット語で「居堆巴扎倉」と呼ばれ、チベット仏教のグルー派密宗最高学府の一つに属している。 ....................................................................................................................................................................................................................................................................................................................... 声明:此篇为チベツト文化圏国際旅行会社原创文章,转载请标明出处链接:http://www.tibetahimalaya.com/h-nd-99.html
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