チベット仏教の歴史仏教の本家本元は、釈尊が生まれたインドである。チベットは、ヒマラヤ山脈を越えてインドの北隣なので、インドの直系の純粋な仏教を受け継ぎ、
はモンゴル帝国の襲来を受け、
かった。ところが、宗教面ではモンゴル人をチベット仏教に帰依させる結果となり、 チベットはやがて独立を回復することができた。そして14世紀後半には、ツォンカパという偉大な宗教家が現われ 仏教の複雑多岐にわたる教理と実践を整合性のある一大体系にまとめあげた。これによってチベット仏教は、 思想哲学の面でも実践修業の面でも、極めて充実した内容をもつに至ったのである。チベットで有名なダライ・ラマとパンチェン・ラマの2大転生活仏は、いずれもツォンカパの弟子の生まれ変わりとされている。17世紀中頃、ダライ・ラマ法王をチベット全土の政治及び宗教両面にわたる最高指導者とする体制が確立され、古代王国が崩壊してから久しく分裂状態にあったチベットは、宗教国家の装いも新たに再統一を果たしたのである。それと前後して、チベット仏教は、モンゴル、満州、そして北京にまで広められ、アジア大陸随一の国際的な宗教に成長した。仏教を精神的な共通基盤に、広範な地域の間で文化交流が進み、チベットはその1大中心地として繁栄を極めた。
チベット仏教の四大宗派 ゲルク派は、最高指導者ダライ・ラマが、チベット国王を兼ねていたため、チベット動乱以後は 最も苦しい立場に追い込まれた。 カギュー派は多くの支派が分立し、統一的な組織は存在しなかったが、チベット動乱以後ダライ・ラマ亡命政権 サキャ寺は、サキャ派政権の崩壊後もサキャ派の総本山として繁栄していた。しかしチベット動乱後、 文献が難を逃れたのは、不幸中の幸いといわねばならない。 クン氏の後裔は4つの系統に分裂したが、現在はドゥンチュー・ラタンと呼ばれる血統が有力で、ドルマ・ラカンとプンツォク・ラカンの2つの家系に分裂している。現在のサキャ派管長はドルマ・ラカン出身の第41世ガクワン・クンガ・テクチェン・ペンバル・ティンレー・サムペル・ワンギ・ギェルポ師で、1964年亡命先のインドのラジプルにサキャ・センターを創建し、これを中心に活動を行っている。また近年は、アメリカをはじめ、シンガポールや台湾にも教線を拡張している。これに対してプンツォク・ラカンの代表者は、ダクチェン・リンポチェ(1929-)で、シアトルのサキャ・テクチェン・チューリンを中心に活動している。 クン氏に属さない新サキャ派の中では、ツァル派の代表者チェギェー・ティチェン・リンポチェ(1920-)が有名である。仏陀誕生の聖地ルンビニにチベット寺を創建するなど、ネパールを中心に活動し、シェルパやタカリなど、チベット系の少数民族に支持者が多い。またゴル派の活仏の1人タルツェケン・リンポチェは、わが国に帰化して祖南洋(そなみひろし)と名乗っていた。『西蔵曼荼羅集成』などの著書があったが、1987年に逝去した。 ニンマ派は他宗と同じく、チベットのニンマ派寺院も、文化大革命中に大きな被害を受けた。総本山ミンドゥルリン寺、
ニンマ派には、アメリカにニンマ・インスティチュートを創立したタルタン・トゥルクなど、欧米に布教し有名になった指導者が多い。またわが国在住のニンチャン・リンポチェも、ニンマ派に属している。
チベットについて>チベットの文化と習慣>くらしの中の信仰(オム・マニ・ペメ・フム) 「オム・マニ・ペメ・フム」(Om・Mani・Padme・Hum)は、チベット仏教徒によって最もよく唱えられている真言(マントラ)である。 真言(Mantra)とは? 真言は他の言語に翻訳することが難しく、この質問に対して明確な答えを出すことは難しい。「オム・マニ・ペメ・フム」(Om・Mani・Padme・Hum)は、細かく分けるとオム・マ・ニ・ペ・メ・フムという六つの真言(Six-syllable mantra)で構成されている。ダライ・ラマによると、これら六つの真言は、私たちの不浄な身体・言葉・思考を、完全に統一された秩序と知恵の教えの道に導くことにより、仏陀になれるということを意味しているとのことだ。 ◆ オム(Om) 私たちの不浄な身体・言葉・思考とともに、高尚純粋な釈迦の身体・言葉・思考を表している。「悟りの道を開いて純粋な境地に到達したとき、過去の不浄から負の属性を取り除き、不浄な身体・言葉・思考も変わることが出来る」と釈迦は説いている。その意味がこの言葉に集約されている。 ◆ マニ(Mani) 宝石を意味する。秩序、慈悲、他者への思いやりなど悟りを開くための要素を表す。「宝石が貧困をなくすことができるように、利他主義的な悟りの境地は、貧困・孤独を取り除くことができる。宝石が私たちの望みをかなえてくれるように、利他主義の心によって悟りを開き、私たちの望みは実現される」とダライ・ラマは言う。 ◆ ペメ(Padme) 蓮を意味する。知恵を表す。泥の中に生えていても泥に染まらない蓮は、私たちを矛盾から救い出す知恵の本質を示している。 ◆ フム(Hum) 分離できないものを意味する。秩序と知恵が調和することにより至る純粋なる境地を表す。 チベット及びチベット文化圏では、寺の参拝、ダライ・ラマ法王や高僧の謁見、宗教の儀式、知人・友人の送迎、 子供の誕生日、結婚式、葬式など様々なシチュエーションで、カターと呼ばれる白いスカーフを挨拶しながら相手に渡す習慣がある。カターの「カ」は口で、「ター」は布あるいは印(しるし)、誠心誠意、心からの敬意を表している。つまり、カターを相手に渡すことにより、自分の心からの敬意を表すという挨拶の印なのである。 一般にカターは白色が使われる。白には純粋な気持ちを表す。この他、青、赤、黄、白、緑の五色のカターを宗教的の儀式や供養などの目的に応じて使用する場合もあるが、その機会はあまりないといえよう。チベット仏教を信仰しているモンゴルでは、高僧の謁見の際に、五色のカターを重ね合わせて献上する風習があり、五色のカターを盛んに使用しているようである。大昔のカターは羊毛製であったといわれている。現在でもチベッの奥地では羊毛のカターが使われている。昔のチベットでは(今も行われているかもしれないが)、吉日や大切な日の早朝、家の屋上や玄関で香を炊き祈る習慣があった。そのときに家人は、頭に必ず羊の毛を数房付けて供養していた。未の毛に何か象徴的な意味合いがあるかもしれない。確かに、カターの由来はこうした供養の際に頭に付けた羊の毛が変化したものと言われている。チベット人は、日常、家の屋上、寺の中央、山頂、峠、橋や水辺などに、経文を印刷した魔除けと祈りの旗「ルンタ」(別名「タルチョー」)を掲げ、「ラーソル」(土地の精霊や仏を拝み焼香すること)の習慣がある。「ルンタ」は、自然災害、不作、家畜や人間の伝染病、旅、巡礼、新築、結婚式、新年の祭りや宗教的な行事などの時に、その土地や家の悪霊や災難を祓い清め、すべての生きとし生けるものが平和で幸福と健康に恵まれて過ごせるようにという祈願が込められている。 カターを大きくわけると(良い材質の順に)、ナンゾ(Nanzod)、ソクダル(Sogdar)、バルゾ(Barzod)、 アシェ(Ashi)、スプシェ(Supshe)、チゾ(Chizod)、ソタック(Sotak)、カチ(Kachi)の8種類がある。最後の2つのカターの材質はいいものとは言えない。カターの中で最高とされるのは、絹で作ったナンゾで、これにもいくつかの種類がある。真ん中に運勢を強くするナムチュワンデンとその周りに八吉祥(タシタクゲー)、両端にチベット語で、「ニモデレ・ツェンデレ・ニツェン・クントゥ・デワタン・クンチョク・スムキ・タシーショク」(『昼も元気で、夜も元気で、いつもまでもの元気で、三宝の(仏・法・僧)ご加護がありますように』)という文字を描かれているナンゾが最高級のカターである。こうした最高級のカターは、ダライ・ラマ法王や尊敬する高僧に挨拶に伺う時に用いられる。上等な絹でつくってあるため、当然、値段も張る。次に良い材質のカターのソクダルは、ダライ・ラマ法王を謁見してその印として頂く物で、もともとは青色だったが、現在は赤色のみが使われている。次のバルゾ、アシェ、スプシェなどのカターは、巡礼、参拝、結婚式などで多く使われる。カターは、葬礼にも使われる。遺体にカターをかけ、火葬場へ送る。使用されるカターは、何もかかれていない真っ白なものがベスト。当然、このような悲しい場に吉祥紋やおめでたい文字が書かれたカターが使われることはない。 11世紀の半ば、チベットのガリ地方で仏教の再建に力を入れていたグゲの王イシェオは、数回にわたって翻訳官 アティシャは、バター茶を飲む前に、「行者、知識人たちの願いがかない、釈迦の教えが益々繁栄されますように」と祈願文を唱えた後、茶を飲んだ。アティシャは、それまでバター茶を飲んだことがなかったが、その後、体力見る見るうちに体力は回復した。アティシャは「チベットにこのようなおいしい飲み物があるとは知らなかった。この飲み物は素晴らしいものだ。これを飲めば喉の乾きをうるおい、血行をよくし、頭が冴え、体力が回復し、眠りから覚め、善良を積み重ねる原動力にもなる」と語ったという。 チベットで儀式使う法具 たくさんの法具のなかでも、特によく目にするのが、これです、チベット語でドジエと言います、日本では「金剛」とか「独鈷」などと呼ばれて います。 雷とダイヤモンドと言う2つ意味があり、すべでの対立を調和に導く「空」のエネルギーの象徴です。 お寺の屋根などでよくあるのがこの法輪です、チベット語では「コルロ」と言います。 これは仏の教えそのものを意味しでいます この鈴は始原の音や、空を表しています。 法要の時はお坊さんが先ほどご紹介したドジェを片手に、もう片方の手にこの鈴を持つ姿がよく見られます。 こちらは髑髏の杯です。 これには呪術な力があると言われていて、生命力を象徴しています。だいたい、この髑髏の杯血で滿たされています。 声明:此篇为チベツト文化圏国際旅行会社原创文章,转载请标明出处链接:https://www.tibetahimalaya.com/h-nd-5.html
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